~30年の歳月を経て実現した住民の夢~

住民のコミュニティの継承をめざした再開発
三田小山町地区第一種市街地再開発事業

三田小山町地区第一種市街地再開発事業

「都市開発」

都市開発

「都市開発」。

並みいる大手ゼネコンの中で、もっとも大成建設が得意とし、自負する分野だ。
10年1事業と言われるこの大仕事に、情熱を傾け、運命を賭け、まちづくりに駆け回る人々がいる。
今回は、戦前から続く都心の木造密集市街地の再生に取り組んだ人物を紹介する。

始動した住民主導の街づくり

地下鉄大江戸線・南北線の麻布十番駅から芝方面に3分程歩くと、アースカラーを基調とした高層住宅が目の前に現れてくる。建物周辺は、港区の中心にあるとは思えない程静かな雰囲気に包まれている。
現在の街の姿からは全く想像できないが、かつてこの地域は、関東大震災の被害や戦時の空襲を免れた木造家屋が軒を連ね、道路や路地の幅が狭く、ひとたび火災が発生すれば大規模な延焼は避けられない木造密集市街地であった。住民も行政も「この街をなんとかしなければ」と危機感を抱いていた。

會田和史
會田和史

1988年、住民や行政の危機意識が高まる中、「小山町まちづくりの会」が発足し、翌年には港区による「街づくり推進地区」の指定を受け、住民主導の街づくりが始動した。1992年には、「住み続けられる街づくり」を目指して「三田小山町第2地区市街地再開発準備組合」が設立され、再開発は順調に進むかに見えた。
ここ三田小山町地区は、住宅・店舗・工場が共存し、古くから培われた良好なコミュニティーが継承されながら発展してきた。住民たちは、バブル期の地上げ攻勢に翻弄され、阪神淡路大震災を目の当たりにして再開発の機運を高める一方、「再開発がコミュニティーを壊してしまう」と心配する声も上がっていた。彼らは、目まぐるしく変化する時代の流れにもまれながら、再開発を推進したい思いと反対する思いが交錯する中で、何年も街づくりの方向性を見いだせずにいた。

1997年に東京メトロ南北線(溜池山王-四谷間)が開通し、2000年の都営地下鉄大江戸線全線開通を前にして、住民たちの街づくりに対する気運が高まっていった。
1999年、準備組合は事業協力者として大成建設を選定し、都市計画決定をめざして大きく舵を切るに至った。すでに準備組合設立から7年の歳月が経過していた。大成建設は、事業推進の役割を担うため、準備組合事務局に人材(事務局員)を派遣することとなった。

塩川泰弘
塩川泰弘

進まない合意形成を前に

アクアガーデン
アクアガーデン

まず、大成建設が直面した課題は、市街地再開発事業等の都市計画に関わる合意形成であった。都市計画を担当してきた大成建設 都市再開発部の會田和史は、当時をこう振り返る。「当時、私は準備組合事務局員として都市計画素案をまとめ、権利者の合意形成に当たっていました。ある日、地区内で再開発反対の署名運動が起きました。理解を得たと思っていた権利者からも多くの署名が出され、まだまだ信頼を勝ち得ていない状況に挫折感を覚えました。それからというもの、地元のお祭りなど再開発とは直接関係のない行事に極力顔を出し権利者との接点を増やしながら、何とか信頼関係を築こうと努めました。徐々に未同意権利者の方たちとも会話ができるようになると、会話の端々にその人なりの「賛同できない理由」が見えてきて、ようやく権利者の目線で再開発を眺めることがでるようになりました。」

事務局員の努力もさることながら、行政の積極的関与や準備組合役員の皆さんの働きかけもあって、2001年に都市計画決定の告示を受けることができた。
都市計画決定以後も、市街地再開発組合の設立や権利変換に関する協議の段階で約100人からなる権利者の同意を取得する必要があった。各段階で、どうしてもご理解いただけない方々が何名も出て、事務局員たちは日々頭を悩ませていた。局員たちは、同意してもらうための方策について真剣に語り合ったり、深夜、酒を酌み交わしながら遅くまで話し合うこともあった。

アクアガーデン
アクアガーデン
コモンラウンジ
コモンラウンジ

事務局員たちが粘り強く、決して諦めずに権利者と会話を重ねた結果、補償費や税金、相続などの問題について、権利者の方々から相談を持ちかけられるようになった。一人から同意をいただくと、さらにまた一人と徐々に理解の輪が広がり、ようやく権利変換の認可を得ることができた。「一を引き出すために十を聞く忍耐力」を持って日常会話を積み重ね、相手の立場に立って物事を理解するよう努めてきたことが、権利者の方々の心を動かしたのだ。

竣工を迎えて

2010年5月、「小山町まちづくりの会」が発足してから22年目、晴れて施設建築物の竣工を迎えることができた。住宅を主体とした36階建ての「タワー棟」、同じく9階建ての「三田ガーデン棟」、住民がコミュニケーションの場として使うことのできる「共用棟」が中庭を取り囲むようにして建っている。総数498戸の住宅を主体に、1階から2階には、店舗・事務所・作業場が配置されている。店舗等では再開発以前から地区内で営業していた方々が、再開発後も営業を継続している。
こうして竣工を迎えるまでの過程では、「良好なコミュニティーの継承」、「安全・安心な街づくり」について住民が主体的に考え、様々な工夫がなされてきた。三田小山町地区は、年金で生計を立てられているご高齢者が多く居られるため、再入居後の管理費等の負担を低減し、安心して永く住み続けられる工夫がなされている。また、町会活動が活発なため、町のお祭りや餅つき大会にも利用できる広場が整備された。今日では、古くからの住民に加え、マンションを購入した新たな住民も町会活動に参加している。

コモンラウンジ
コモンラウンジ
コモンラウンジ
コモンラウンジ

竣工後、事務局員が近くを歩いていると、「とても快適な生活を送っているよ。やっぱり再開発をやってよかったね」「家に娘や孫を呼べるようになりました」と権利者の方々から声をかけてもらえることがある。再開発をすることが本当に良いことなのかと悩んだ時期もあったが、今ではこの再開発に携われたことに大きな喜びを感じている。

會田と共に、事務局員として組合設立から竣工まで事業推進に携わった大成建設 都市再開発部の塩川泰弘は、竣工した建物を前に再開発についての思いを語った。「三田小山町地区も再開発によって道路や地域に開かれた広場が整備され、街の景観も大きく変わり、地域に大きなインパクトを与えました。しかし何よりも、再開発は、権利者の方々が長年築き上げてこられた大切な財産を私たち事務局員に委ねていただく事業です。それだけに、事務局員個々人が信頼を得ることが最も重要なことなのだと痛感しました。権利者の方々の大切な財産と将来の生活を託されることへの責任と同時に、やりがいと誇りを持てる仕事ではないでしょうか。」

小林理事長と共に
小林理事長と共に

再開発組合理事長より

三田小山町地区 市街地再開発組合 理事長 小林理壯様

三田小山町地区 市街地再開発組合
理事長 小林理壯様

「いつまでも住み続けられる街」を目指して街づくりが始まったのは今から30年程前、私が40歳を過ぎたぐらいの時でした。当時、港区の担当者が街づくりのビラを配付したのがきっかけです。以来、めまぐるしい時代の変化の中で試行錯誤を繰り返し、ようやく市街地再開発事業の完成を迎えることができました。
住民の皆様に街づくりについてご理解いただき、皆で知恵を出し合い努力を重ねてこられたことに本当に感謝しております。そして、私たちの事業に多方面からご協力いただいた事業関係者の皆様にも心から御礼申し上げます。
新しく生まれ変わったこの街を子供や孫の代に引き継いで、皆様が末永く生き生きと暮らしていかれることを祈念いたしております。

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