重要文化財 法務省旧本館(中央合同庁舎第6号館赤れんが棟)

「霞が関の女王」を現代の技術で再現

重要文化財 法務省旧本館(中央合同庁舎第6号館赤れんが棟)

伝統的な建築物を再現する苦労とは・・・

工事従事者からアドバイス

少しでも詳細に調査を実施するために、昭和の改修工事に携わっていた方々にも来ていただき、建物を見た上で助言をもらいました。

中には、復旧前と工事中の貴重な写真を撮影していた方がおり、それまで何も資料が無くて分からなかったせん塔の形がはっきりとわかるきっかけにもなりました。

また、建築基準法に則った保存改修工事だったため、スプリンクラーなどの装置を木の内装にどのように忍び込ませるかといった苦労もあったようです。

重要文化財 指定書
重要文化財 指定書

丁寧な手仕事がつづき、昭和の改修では質素なつくりとなっていた「せん塔」や「むな飾り」など美しい装いがつくられました。
そして、1995年(平成7年)春、工期4年半を費やし、誕生後100歳にして計画どおり明治へとたどり着きました。

大成建設担当者より

大成建設担当者より

息の長い仕事でした・・・

霞が関の女王である煉瓦建築の法務省の調査にあたったのは24歳、そして工事が完成したときには50歳と、実に長い仕事だった。

最初に担当した仕事は外壁の伝統的な軒蛇腹(のきじゃばら)の形や煉瓦などの外壁部材の寸法取りだった。外壁図面にグリッドをいれて、色彩やひび割れなどを測定して図面におとしていった。

時には、クレーンの先端に籠をつけてそこに乗り測定したこともある。自分自身は、高いところは嫌いなのに、クレーンの操縦者に右や左に移動してもらいながら、高層部を調べていった。

杉本 賢司氏(当時 大成建設主席研究員)
杉本 賢司氏(当時 大成建設主席研究員)

戦争の傷跡

それにしても壊れやすい赤煉瓦、関東大震災でも平気だったのはどういうわけなのだろうか、調査が始まった当初、外壁の煉瓦には小豆サイズほどの黒い粒がたくさんついており、引っ張るとガムのように伸びるが、それが何かわからなかった。

分析や切断して顕微鏡で観察したがなかなか確定できなかったが、最後に焼夷弾の樹脂だったことをつきとめた。戦争を受けた傷跡がそこに残っているのを感じた。

煉瓦について

煉瓦はいったいどこでつくったのだろうか、調べてゆくと深谷にある日本煉瓦製造(株)製だとわかった。そしてその窯は今でも残っていたのには感動した。日本煉瓦製造(株)は明治の経済界を創設した渋沢榮一氏が社長を35年も務められた会社であり、明治の建物をつくるにはここの煉瓦は外せない。調査を更に進めていくと、日本煉瓦製造(株)で焼いたものと小菅集治監でつくった煉瓦の二種類があることがわかった。玄関側は日本煉瓦製、裏側は桜のマークの入った小菅の煉瓦だった。当時の煉瓦には秘密があり、作土(さくど)というものが混ぜられている。高級な明治の煉瓦を物語る証拠で、川沿いの砂と粘土が混ざった部分をいう。これを入れると、煉瓦の収縮量が減りしまる。明治の煉瓦は粘りがあり、ほわっと壊れ、地震のエネルギーを吸収する役割をする。イギリスのイブストックの高級煉瓦と同じ壊れ方だった。

使用されていた煉瓦 桜のマークも見えます
使用されていた煉瓦桜のマークも見えます

こだわりの一品としての建物

また壊れないのは、アーチ構造であったことと、四隅に入れた金属および鉄道のレールが効いている。アーチ構造は、世界遺産の水道橋のように残っているものが多く、地震の多いわが国にぴったりの方法といえよう。また、明治28年の当時ではH型鋼はまだ存在していないので、鉄道レールは貴重な構造材だった。その上、この建築には基礎にドイツ製の鷲印のセメントが使われていた。当時のセメントは大変高級なものであり、何と「木製の立派な樽」に入れられて日本に運ばれてきたようだ。

現存するアーチ構造部
現存するアーチ構造部
航空写真
航空写真

ところで、この歴史的な赤れんが棟ですが、見学できることをご存知でしたでしょうか?

見学者が入ることができるのは3階の一部分ですが、明治の雰囲気を今に伝える復原室(旧司法大臣官舎大食堂)と明治時代の煉瓦壁の残る部屋を見ることができます。霞が関という日本の中枢で、明治の面影をしっかりと残す伝統建築を訪れ、近代日本の創始の息吹を感じてみてはいかがでしょうか?

小学生からお年寄りの方まで、年間2万人の方に見学いただいています。

法務省大臣官房司法法制部司法法制課展示企画係

法務史料展示室・メッセージギャラリーについて

赤れんが棟は、明治政府が策定した官庁集中計画の一環として建てられた建物のうち、残存する唯一のものであることから、

【1】歴史的・文化的遺産である赤れんが棟、
【2】法務省が所蔵する基本法典の編さんに関する法務史料等

を国民の皆様に見ていただきたいとの思いから、1995年(平成7年)6月、法務史料展示室を設置して公開しています。

2006年度は、小学生からお年寄りの方まで、年間約2万人の方にご見学いただきました。
学生の方々は、修学旅行や総合学習の時間を利用し、法務省の仕事を知る目的の一環として全国からいらっしゃいます。また、最近は旅行会社主催の「大人の社会科見学」といったツアーに組み込んでいただいていることもあり、中高年層の来場者が増えていると感じています。

復原室内の様子
復原室内の様子

見学者のアンケートでは、「通りすがりに案内表示板を見て見学できることを知って入ってみました。」と書かれている方も多く、気軽にお立寄りいただければと考えています。

見学者の皆様には、まず歴史的建築物である赤れんが棟の外観をじっくり見ていただき、次に復原室内では、あたかも明治時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を味わっていただければ幸いです。

我々も公開する法務史料を入れ替えたり、霞が関地区を中心とした東京の歴史的変遷を紹介する地図映像システム(65インチの迫力あるプラズマディスプレイ)を導入するなど、何度も足を運んでいただけるように趣向を凝らしています。

また、2005年(平成17年)から、法務史料展示室にメッセージギャラリーを併設し、国民の皆様に司法制度や法務行政等への理解を深めていただくため、時宜に応じたテーマについての展示を行っています。
現在は、2009年(平成21年)にスタートした裁判員制度や日本司法支援センター(法テラス)等について分かりやすくご紹介しているほか、裁判員制度等についての広報ビデオもご覧いただけます。

霞が関にいらっしゃる際には、是非お立寄りください。

見学案内

メッセージギャラリー内の様子
メッセージギャラリー内の様子

工事概要

発注者 建設大臣官房
所在地 東京都千代田区霞が関1-1-1
竣工日 1995年4月
延べ面積
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関連情報

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